スカボローフェア part 1
2021.07.24
「サウンドオブサイレンス」と同じぐらいに有名なのが「スカボローフェア」です。やはり映画「卒業」で何度も使われたので、映画を見た人は胸に焼き付いているでしょう。きれいな歌なので、本当に恋愛の歌のように感じられます。ところが、まったく違う歌なのです。... (続きはクリックしてください)
たしか1972年、沖縄返還のとき、前日だったかこまかな日時は覚えていませんが、深夜番組のオールナイトニッポンで、糸居五郎がこの沖縄返還の特集をずっとやっていたんですが、その番組の間、ずっと「スカボローフェア」が流されていました。「さすが、この人は知っている」と感激しました。スカボローフェアは「反戦歌」なんです。
さて、正式な歌の名前は「Scarborough Fair/ Canticle」で、日本名は「スカボローフェア / 詠唱」、つまり「スカボローフェア」と「詠唱」の2つの歌が重なっているのです。輪唱のように少し、ずれて重なっていますが、歌はまったく違う歌を重ねています。詠唱の部分は「The Side OF A Hill」という歌です。
まず、Scarborough Fair ですが、スコットランドの海岸をテーマにしているそうですが、作者はイギリスの「マーティン・カーシー(Martin Carthy)」です。サウンドオブサイレンスのところで説明したように、ポールサイモンは「Wednesday Morning 3 A.M.」が売れなかったので、イギリスで活動していました。当時イギリスはフォークソングのリバイバルの時期でもありました。ポールサイモンがイギリス各地で活動していた時、マーティン・カーシーに出会い、この「Scaoborough Fair」に出会ったそうです。ポールサイモンはこの曲を気に入り、1,800ポンドで楽曲の使用権を取得しました。ただ、この前に、ボブディランが同じようにこの曲に出会い、「Girl from the North Country 」という歌を収録しています。ボブディラン特有の歌い方ですが、私はこれも気にいっています。
元々のスコットランドの民謡で、あちこちからFair にやってくるのを歌ったものですが、いろんなバージョンがあるそうです。中でも、男女が掛け合いで歌うものもあるそうです。ポールサイモンの曲もこのデュエットバージョンに近いものです。男が女に対して、針を使わないで薄手のシャツを作り、それを水のない枯れた井戸で洗ってくれと無理なことを頼みます。それができればお前は俺の本当の恋人だといいます。すると女は、それじゃあ、海辺の波と陸地の間に広い土地を見つけて、そこにコショウの種をまいて革の鎌で収穫してくれと無理難題を返します。それができればあなたは私の本当の恋人よ、と言います。
ところが、ここで「Parsley, Sage, Rosemary & Thyme」が出てきます。元々は、中世のイギリスの時代、生命をなくした騎士が、靈となってさまよっている時、スカボローにいる恋人に会うために、スカボローに行く旅人を見つけてはいろいろと話しかけ、うまく話に乗ってくれたら旅人の魂に入り込み、スカボローまで連れていってもらう、という内容らしいです。そのために、死んだ騎士に魂を乗っ取られないようにする呪文が「Parsley, Sage, Rosemary & Thyme」なのです。でも、ボブディランの歌にはこの呪文が入っていません。
Parsleyはパセリ、 Sageはセージ、 Rosemaryはローズマリー、Thymeはタイム、すべて薬草なんですが、中世のころ、薬草を使っていた人は? というと魔女です。魔女というと怪しげな雰囲気ですが、単に薬草などを使いこなしていた人です。映画の「ショコラ」だったっけ。詳しい名前は忘れてしまいましたが、ジプシーの母親と女の子がチョコレートのお店をつくろうとするのでが、町中の人から大反対され、いかにも「魔女」のように扱われていたのを思い出します。たんなる呪文で解釈するのが一般的ですが、私自身は「magick」が思い起こされるのです。「magic」が普通の魔術ですが、「magick」は白魔術、正しい魔術です。私の世界(セントラルサン)では「智慧」になります。困難な問題を解決するとき、お金で解決する、地位を利用する、などが現代人の解決策ですが、本来は「智慧」を使ってほしいのです。
ポールサイモンの「Scarborough Fair」では
・麻のシャツを作ってほしい。縫い目や針の作業はなしで
・1エーカーの土地を、海の間と砂地の間に見つけてほしい
・皮の鎌で刈り入れ、ヒース(植物)で束にしてほしい
という難題を与えるのです。そうすれば、彼女は真の恋人になれると。無理難題、矛盾を押し付け、できたら合格。 どこかで聞いたことありますね。かぐや姫の与えた課題と同じようですね。女性が男性に難題を与え、合格したら一緒になってあげる。男性の価値は「智慧」で決まったわけです。
ところが、原作のマーティン・カーシーやボブディランと違っているのは、もう一つの曲、「The Side of a Hill」です。これは
... A little boy lies asleep in the earth
... While down in the valley a cruel war rages
And people forget what a child’s life is worth.
...While a soldier cleans and polishes a gun
...And generals order their men to kill
...And to fight for a cause they’ve long ago forgotten
という反戦歌です。寝ている子供の近くで「殺せ、殺せ」と上官が命令している。
ここだけをみれば「スカボローフェア/詠唱」は反戦歌のようにとらえられますが、私自身はまったく別の解釈をしています。光と闇、善と悪、正義と不正、男性性と女性性、天と地、神靈と悪魔、支配者と労働者、戦争と平和、あらゆる二極対立がこの世界(第三密度の物質世界)をコントロールしていますが、これを乗り切ろうとして「支配者になろうとする」「大金持ちになる」という勝者側になろうとして競争を繰り広げています。実際にはこの競争は終わることなく、二極対立をさらに激化させていきます。人間は疲れ、戦うことの意味を探ろうとするでしょう。
そこで人類が見出した解決策は、西洋では「magick」、つまり魔術で解決する、魔術を手にして自分が上にいくという発想です。しかし東洋では「智慧」、二極のどちらかを正解とするのではなく、その意識レベルを超越した新しい考え方、新しい発想で乗り切るという「智慧」です。「知恵」はおばあちゃんの「味噌づくりの知恵」とか「大根の漬物をつくるときの知恵」のような個人的経験則、地域限定の経験則ですが、それはそれで文字で表記できない、体で身につけた才能です。しかし「智慧」は高い知性と閃き、先見性、洞察力を備えた才能です。なお、「知性」は単に頭がよい、成績が良いだけで、実生活の「知恵」や「智慧」とは無関係です。
イエスが説法を説いて歩いていた時、マグダラのマリアが町中の人から「この娼婦め」と言われて石を投げつけられているのを見て、「罪を犯したことない者から石を投げなさい」というと、男たちは石を捨てて去っていったように、「自分も悪い」と気づかせるような言葉です。これが智慧のある言葉です。ただ「やめなさい」「可哀そうでしょう」というのは智慧がありません。
相反する二極対立をテーマにして学んでいる私たち人類は、西洋的手法では「magick」で、東洋的手法では「智慧」で解決することを見出しました。しかし残念ながら、こういう風にちゃんと説明しているのはセントラルサンの「覚醒セミナー」ぐらいでしょう(すみません、自画自賛&宣伝でした m(__)m)。
この「スカボローフェア/詠唱」も、生と死、戦争と平和という二極対立をテーマにし、解決法は「magick」で、これを学びたい人は「ゴールデンドーンへ、ようこそ」という感じですかね。ハーブやトーニングを活用し、みえない妖精や精霊の力をうまく使いながら、人間関係をよくしていく。でもセントラルサンでは「智慧」を重視しています。頭を使い、愛や徳を活用して、自分の非を自分で理解する。お互いに相手の個性を尊重し、常に良いことを考えていく。そういう智慧を見出そうとする意識。でも、そうはいってもすぐには身につかないので、うまく「magick」も使いましょう。思えば、60年前の曲です。でもまだ私たち人類はこの曲の本当の意味を理解できず、この声も、この思いも、ただかき消されていきます... 静かなる音へ、静寂の音へと...